コラム

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源頼朝と義経

東京支店コラム

こんにちは、東京支店のKです。
今回はちょっと業務と離れコラム的なお話しをしたいと思います。

「判官びいき」これは源義経が頼朝に奥州で討たれた後に後世に言われた義経を悲哀する言葉です。
しかし、私は必ずしも義経が悲劇の武将だとは思っていません。頼朝と義経、社会で生きていく中で果たしてどの生き方が正しかったのか、これを検証したいと思います。

確かに義経は奇襲戦法を駆使して次々と平家軍を倒し、遂には壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させた天才的な軍略家です。
しかし、その一方で個人の判断で軍律を破り、ある意味組織を全く無視した自分勝手な戦法で勝ちを治めて来ました。

故に、義経配下の武将からはことごとく忌み嫌われ、自身が京都で頼朝打倒の旗を揚げた時に集まった武将はごく僅か、果てには奥州に逃亡し、結果、庇護されていた奥州藤原氏にも疎んじられ、一族諸共滅ぼされてしまいました。

一方で頼朝は富士川の合戦の後は本拠地の鎌倉から動かず、その地にて各武将に指示を出し、配下の意見を取り入れながら戦略を練り、平家を滅亡に導き鎌倉幕府を開きました。

今の日本社会でも突出した才能で輝かしい結果を出す社員はいます。しかし、それが自身の勝手な行動による成果であった場合、果たして、その部下が付いて行くでしょうか。
やはり結果を出したいのであれば、次に必要なのは自分の部下に如何に結果を出させる事を考えないといけません。いつまでも自分の力だけでは会社は伸びて行かないのです。

自分の力のみに頼り、結果何も残せなかった義経と、自分は動かず、部下の人間を巧みに活用して、関東武士の力を終結させて800年続く武家政権の礎を築いた頼朝。考えはそれぞれ違うとは思いますが、どちらの生き方が正しかったのか。
それは歴史が証明してくれているのではないでしょうか。

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