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今、夢がなくても焦らず探しつつけること。探し続ければ次の扉は必ず開く!

「自分らしく」働きたいあなたに効く! アイアールスペシャルインタビュー

ダンサーとしてグローバルに第一線で活躍しているキッキィさん。空手でインターハイに出場するなど、多才な経歴を持つキッキィさんの波乱万丈のこれまでと、自分らしく成功する秘訣を伺いました。

キッキィ(崎山 清之/さきやま きよゆき)さん

1977年生まれ。沖縄出身。
高校から始めた空手でインターハイ優勝。高校卒業後ダンスと出会い、独学で学びながら、日本ダンス界黎明期の数々のダンスコンテストで優勝を果たす。無名時代にミッシー・エリオットのバックダンサーに抜擢されるなど輝かしい経歴を持つ。2009年に発足した須藤元気氏率いるダンスグループ「WORLD ORDER」の初代リーダーでもある。
現在は、自身のルーツである沖縄の伝統舞踊と現代ダンスと融合させたパフォーマンスや、空手の動き・プロジェクションマッピングを取り入れたダンスなど、新しい表現の方法を開拓しながら、活動の幅を広げている。

空手一筋の高校時代。突然の転機…ダンスとの出会い

―― 空手からダンスへ。異色の経歴ですね。幼少のころから空手をやっていたんですか

空手を始めたのは、高校に入学してからです。始めたら楽しくて、あっという間に強くなりました。自分には、独特の集中力があるんでしょうね。空手でてっぺんを取るぞ! という目標が定まって、その目標だけに集中して生活していました。まさに「空手漬け」の日々です。空手歴わずか3年でインターハイで優勝できたのは、この集中力と、当時の監督に、「考えながら練習しろ」と教えられ続けたからだと思います。
練習は厳しかったですね。「強くなるために創意工夫をしろ」という恩師の教え通り、自分で強くなるためのことを考えながら練習をしていました。
この、「考えながら練習する」ことは、ダンスにも通じています。

―― では、どういった経緯で空手日本一からダンスを志すに至ったのでしょうか

高校生の時は、このままずっと大学に進学しても空手を続けられると思い込んでいました。
ところが、高校の卒業式の前日、突然両親に「家を手放すことになった」と告げられました。父の経営していた事業が失敗し、家を売りに出すことになったんです。僕には二人の兄姉がいるのですが、二人はもうずっと前から父の事業が傾いていることを知っていて…知らないのは末っ子の自分だけでした。とてもショックでした。
そこから状況は一転。空手の推薦で決まっていた進学先の大学には、一年の前期だけ通いましたが、家の中はとても大学に通える状況ではなく、中退して働き始めました。

空手一筋だった日々から、急に目標を失って世界が変わりました。初めての大きな挫折です。どん底の気分でした。
周りの友達が大学生として楽しそうにしている様子を見ると、焦りました。でも自分には何もなくて、焦りをごまかすために遊んだり飲んだり…その日暮らしでした。空手で日本一、世界一を目指していた自分はどうしちゃったんだろう、と思って心が荒みました。
目標を失い、家にも帰りたくない。そんな時、ストリートでダンスをしている人達に出会ったんです。ダンスなんて、やったことも見たこともなかったのですが、「一緒にやろうよ」って迎えてくれて、ダンスを教えてくれました。これがダンスとの出会いです。

今、ダンスは世間に認められて、体育の授業にも採用されていますが、僕がダンスを始めた15年以上前のイメージは、クラブで遊んでいる人や悪そうというもの。でも、僕が出会った人達は純粋ダンスを楽しんでいる人ばかりで、その人達を通じて自分もダンスにはまっていきました。
上手になりたい、色々な人と関わりたいと思っていた矢先、次の転機が訪れました。友人から、「せっかくだし、東京でダンスをやろうよ」と声を掛けられたんです。
その言葉で、色々なことを深く考えずに、上京しちゃいました笑

―― スーパーチャンプル出場、ミッシー・エリオットとの共演、そしてWORLD ORDERへ

上京して、環境がガラッと変わりました。沖縄でダンスをしていた頃は楽しく踊れればいい、という気持ちでやっていたのが、上手くなりたい、どうしたら美しい動きができるだろう、ということを考え始めました。
空手をやっていた時のように、ダンス夢中でした。
この頃、「無名(うーみん)」というグループを結成して、ダンスバトルの深夜番組「スーパーチャンプル」に出演し、好評を博しました。様々なダンスコンテストで成績を残せるようになってきて、ダンスを始めて3年で「JAPAN DANCE DELIGHT」という大会で優勝することができました。少しずつ、ダンスで進む道ができ始めてきたんだと思います。
これも、空手で鍛えた集中力と、考えながら努力することが役に立っていますね。
ここから、大きく自分のダンス人生が開けました。

自分のダンスが目に留まり、ミッシー・エリオットのパフォーマーとして抜擢されたり、ユニクロのCMに起用されたり、自分の周りが急速に変わっていき始めました。
そんな中、WORLD ORDERの立ち上げに関わってくれないかという話を頂きました。

WORLD ORDERの初代リーダーとして活躍。「やりたい」気持ちに従って次のステップへ

―― WORLD ORDERで活動されていたの時期はいかがでしたか

WORLD ORDERは、初期4作品に初代リーダーという形で携わりました。当時は、本当に目まぐるしい生活でしたね。
メディアでも一気に取り上げられ、大きな反響を得ましたし、マイクロソフトのカンファレンスのオープニングゲストとして招待を受けて、ロサンゼルスでパフォーマンスを披露しました。
注目された活動だったので、様々なチャンスや出会いがありましたが、ふと、これって自分が本当にやりたかったことかな…と思うことがあって。これからまだまだ有名になるぞ、というタイミングでしたがWORLD ORDERの脱退を決めました。

―― 注目されている中での脱退。後悔はありませんでしたか

不思議と後悔はありませんでした。周りにはとても驚かれましたが…。
無理していたんだな、と気付いたんです。テレビに出演しているころは、注目が集まる度たび、もっとやらないと…といつも焦っていました。でもそれに対する戸惑いや、違和感が消せなくて悩みました。有名になれば幸せ、と考えていたんですが、違ったんですね。
脱退して、自分らしくなりたいと思ったんです。自然体でいられる関係や、気持ちが通じている方との交流を大事に、やりたい、打ち込みたい、この動きで人を感動させたい、そう思えることをやっていこうと。
すると、すっと肩から力が抜けました。これがいい方向に転換する転機になりました。
自分らしく、というキーワードに気づいたら、ダンスも同じだってことがわかりました。自分らしく動いた瞬間の方が美しく、人の心を打つ表現ができるんです。

―― 現在の活動についてお聞かせください

今は、沖縄伝統芸能の薙刀(なぎなた)と現代ダンスを融合させたパフォーマンスに携わっています。伝統を現代アレンジで見せることは、面白くも難しい挑戦です。伝統芸能という芯は決して動かさず、現代風のアレンジは単に「見せ方」なんです。その時代に合わせたアレンジで見せていくことで、伝統は次の時代に繋がっていくんだ、と考えています。
上京してから、沖縄から遠ざかっていた自分が、沖縄の伝統芸能に関わることができるのも、自分らしくいたいと思えたことで巡り合った縁なんです。
今は、自宅に小さなスタジを構えています。そこでダンスの個人レッスンをしています。ぜひ僕にレッスンをしてほしい、と言ってくれる方ばかりなので嬉しいですね。
自分には、まだまだ表現者として可能性がある。表現することが大好きだから、一生涯表現者でいたい、それが僕のゴールのない目標です。

―― 波乱万丈の人生経験をお持ちのキッキィさんから、先が見えないと思っている人や、目標を見失っている人に対してメッセージをお願いします

まずは、自分を好きになってほしいです。
自分は高校生の時に目標をいきなり失って、どん底を味わいました。無力感の中で、何もできない期間がありましたが、今の自分なら、焦る必要はないよ、と声をかけてあげると思います。同じ状況の人にも。
夢がない、目標が見えない人は、まだ出会っていないだけなんです。挫折の中でも、次の希望は必ずある。よそ見をしながら、ゆっくり進めばいいんです。たくさんよそ見をして、「いいな」と思えるものを見つけて、そちらに方向転換して進めばいい。
がんばれ、という言葉は現代の人には気軽に掛けられないです。だって、がんばっているのかどうかなんて他人にはわからないですもんね。
焦る必要なんてないんです。自然体で、人生という大きな流れに身を任せて、周りが順調に流れているのに自分だけどうして…と思う時は、そういう時期なだけ。次の扉が開いているのを見逃さないように、色々なことをよそ見してほしいです。必ず、次の扉は開きます。
誰しも知っていることですが、人生は限りがあるから、後悔のない選択をしてほしいです。

キッキィさん、ありがとうございました!

キッキィさんのパフォーマンスはこちらから

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