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織田・豊臣・徳川

東京支店コラム

「織田がつき羽柴がこねし天下餅。座りしままに食うは徳川」
また
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
これは戦国時代の英傑、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康も評した言葉である。
織田、豊臣、徳川。この3人、いずれも天下を目指しある意味天下を取った3人である。
では何故、最後に徳川家康が260年続く太平の世を築けたのか、何故、織田、豊臣政権は短命に終わったのか、これを検証してみたい。
この3人の中で、一番の違いは、その家臣団である。
織田信長は尾張守護代配下の4奉行織田家の中で頭角を現して来た由緒ある家系ではあるが、その家臣団は実力主義の中で頭角を現し、ある意味外様と言える明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益と言った新参家臣の出世の反面、平手正秀、佐久間信盛、柴田勝家と言った譜代の家臣をないがしろにした結果、新参家臣の明智光秀に滅ぼされてしまいます。

豊臣秀吉はと言うと、そもそも百姓からの成り上がりである為、その個人的なカリスマ性だけで天下を取り、譜代の家臣を持たなかった故に、彼の死後は古参の大名がこぞって家康に寝返り、1代限りの天下となってしまいました。

では家康はどうでしょう。井伊直政といった新参家臣の取り込みはあったものの、本田忠勝、本田正信、榊原康正、鳥居元忠といった家康が駿府での人質時代から苦労を共にした家臣達も同様に重用し、バランスの効いた家臣団を形成していきました。結果、石川数正と言った寝返り者が出たとしても、その結束は崩れること無く、徳川260年の天下を築けたと言えます。

これは現代社会でも同じことが言えるのではないでしょうか。会社を発展、安定させるには勿論、外からの新しい風を入れる事も重要ですが、昔から苦労を共にしてきた部下も重用し、新しい斬新な意見と、古い昔からの意見を上手く融合させて会社を築いて行く。その結果として、その会社全体の成長が見られるのです。
新しい風と古い風、この二つの風を、いかに迎合させて、会社の統一した意見に持って行くか。これは一重にそのトップに立つ人間の度量と言えるのではないでしょうか。

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